韓国の街を歩いていると、あるいはドラマを観ていると、頻繁に耳にする言葉があります。
「우리(우리 / ウリ)」
辞書を引けば「私たち」と出てきます。
しかし、韓国の人が使う「ウリ」には、単なる複数を表す代名詞以上の、もっと深くて温かい「心の境界線」が含まれています。
「私の母」ではなく「私たちの母」
日本の方にとって、少し不思議に感じる表現があります。
韓国の人は、自分の母親を呼ぶ時、「私の母(ネ・オンマ)」ではなく、「私たちの母(ウリ・オンマ)」と言います。
自分の家も「私たちの家(ウリ・ジプ)」、自分の国も「私たちの国(ウリ・ナラ)」と呼びます。
これは共有物だという意味ではありません。
「私」という個人の枠を広げ、大切な存在を皆んなで包み込むという韓国的な愛情の形なのです。
「私」と「あなた」の境界線が溶ける時
ミニマリズムの世界では「自分にとって大切なもの」を見極めることが重要です。
韓国の「ウリ」という感覚は、その大切な対象の中に「あなた」をそっと招き入れる行為に似ています。
「私」と「あなた」を分ける冷たい壁を取り払い、一つの大きな円の中に一緒に入ること。
その瞬間に生まれる不思議な連帯感こそが、韓国社会を動かす大きなエネルギーであり、時にはお節介で、時には涙が出るほど温かい「情(ジョン)」の正体なのです。
実践で感じる「우리(ウリ)」の響き
- 우리 엄마 (ウリ・オマ): 私のお母さん(親愛の情を込めて)。
- 우리 집 (ウリ・ジプ): 私の家、私の家庭。
- 우리 사이 (ウリ・サイ): 私たちの仲、私たちだけの特別な関係。
日常の中のウリ。
親しい友人と食事をする時、韓国の人はよくこう言います。
「우리 맛있는 거 먹으러 가자. (ウリ、マシッヌンゴ・モグロ カジャ): 私たち、美味しいもの食べに行こう)」
ここで使われる「ウリ」は、単なる誘いの言葉ではありません。
「私たちは同じ時間を共有する仲間だ」という、静かな、けれど力強い告白でもあります。
孤独な時代の「우리(ウリ)」
個人が尊重される現代において、あえて「ウリ」という言葉を使うこと。
それは、孤独な「個人」のままでいるよりも、誰かと緩やかに繋がっている安心感を選ぶということです。
あなたがもし韓国で誰かから「ウリ」と呼ばれたなら、それはその人の心の円の中に、あなたが招待されたという証です。
その温かな境界線の中で、心地よい連帯感に身を任せてみるのも良いと思います。